転職するという選択を選んだなら正しい心構えを持つべき
今週の時事問題は、ニュースではありません。
転職回数が少ないことに起因して、転職できなかったというコラムを取り上げたいと思います。
以前の日本では、「新卒で入った会社で定年まで働く」という価値観が一般的でした。
実際私の父なんかも、そんな働き方で一社へ勤め上げた一人です。
しかし最近は、「自分が必要だと思ったなら適時転職するべき」という価値観に変わっていますよね。若い内から数度の転職経験がある人も、珍しくなくなっています。
このコラムの内容は、現代の日本を表していると判断して、深く言及していきたいと思います。
転職という選択肢が増えた日本
繰り返しますが、最近の日本社会では、「転職する」という選択肢はとても一般的になっています。
「今働いている会社の待遇に満足していない」
「会社がブラックすぎる」
「人間関係がうまくいかない」
など、転職する理由は様々ですが、「転職する」という選択自体は共通しています。
テレビのゴールデンタイムには、転職支援サイトのCMを頻繁に目にするようになりましたし、電車の中吊り広告でも頻繁に転職支援サイトの広告を目にするようになっています。宣伝広告に熱心な会社はそれだけ「経営に余裕がある」ということです。どれだけ転職支援サイト利用者が多くなっているか、広告の多さにも表れています。
実際、人生は一度きりです。
自分が「転職するべき」だと思ったなら、無理せず転職するという未来を選ぶべきだと、私も思います。
この「友人」が面接で落ちた理由
この記事で語られている友人が面接で落ちた理由は、この記事で語られている通り「転職回数が少ないから」なのでしょうか。個人的には疑問です。
確かに会社としては、「転職に熱心でエネルギッシュな人」が欲しいと思います。
しかし、だからといって「転職したことがない」だけで面接に落とすでしょうか。
「一社に忠義を感じて、長い間貢献する」人にはそれ相応の良い評価を得られるのでは?
仮に、本当にこの面接官にとって「転職回数が少ない」ことがマイナスだったとしても、この友人はもっと上手なアピール方法があったはずです。
前の会社を悪く言ったのがマイナスポイントでは
僕の個人的な経験でも言うことができることですが、前いた会社を悪く言うと面接においてかなりマイナスです。これは人からも言われましたし、実際に私はこれが原因かはわかりませんが、転職活動における面接で落とされました。少なくとも面接でマイナスポイントにはなったはず。
どうして前の会社の悪口を言うと面接においてマイナスポイントなのか。それは、面接官の立場で考えてみればみえてきます。
面接官にとって、「前にいた会社の業績が悪くなったから転職する」なんて言った人が魅力的でしょうか。そんな人を採用したとしても、またすぐ辞めてしまうのではないか、と思うのが当然のはず。
この「業績が悪くなった」という理由が本当だったとしても、面接官に対し別の伝え方ができたはずです。
仮に本当に会社の業績が悪くなったとしても、「以前いた会社に忠義を尽くして、業務にも尽力しましたが、努力及ばず経営悪化を止められませんでした」くらいに言い換えることができるはず。
なんにせよ、この友人は少し考えなしだったと思わざるをえません。
転職だって、新卒の就職活動と同じ「化かしあい」
今映画館で「何者」という映画が上映しています。
この映画は、大学生が新卒の採用試験に苦しむ話です。この映画ではまだ「何者」でもない若者の苦悩を描いています。ですから、すでに社会に出て働きはじめた人にとっては無関係な映画だと思う人も多いでしょう。
しかし実は、この映画で描かれている面接官との「化かしあい」は転職活動でも同じだと感じています。いかに以前の実績を上手にアピールするか。次の職場で働く意欲がどれだけあるか。
それをアピールするのは新卒採用と何も変わりませんよね。そのアピールに失敗すると、試験に落ちてしまうのは転職活動でも同じです。
一概に、この友人や話を聞いた書き手のように「転職回数が少ないから面接に落とされた」と決めつけるのは早計です。はっきり言って、友人が面接で落とされたのは「準備不足」だと、私は思っています。
自分のこれからの働き方を考える
はじめに言った通り、僕は転職に関して悪いイメージはありません。転職が必要だと思ったなら、転職という選択を選べばいい。
問題は、自分の未来を正しく読み取ることだと思っています。自分は今後どうなっていきたいのか。どんな場所で、どんな働き方をしたいのか。
そして、次自分が働きたい場所を見定めたなら、そこでしっかり自分の実力を「アピール」するのです。今まで何をやってきたのか。これから何をしたいのか、何ができるのか。
いつだって人生は心構えと対策です。
早めに自分の未来に正しく目測を立てることができた人だけが、自分の人生をより良いものにできるのではないかと、私はつくづくそう思っています。