高給取りの兄の家が不幸にしか見えない
お金がない」と「不自由」をイコールで繋げる人は多いと思います。
実際、どんな場面でもお金がないと、不自由だとは感じます。
では、お金があって、自由に生きて来れた人は幸せなのでしょうか?
私はどうしてもそうは思えません。
何故なら高学歴で高給取りの兄の家庭が、ちっとも幸せそうに思えないからです。
子供の頃から思い通りに生きてきた兄
私には兄と姉がいます。 兄は「鳶が鷹を生む」を体現したような、THEデキの良い兄でした。
夫婦揃って高卒の我が両親は、すっかり舞い上がって「神童」だの「天才」だのと兄を持て囃しました。
兄が塾に行きたいと言えば行かせ、中学から某有名大学付属の中学校に通いたいと言えば通わせ、そのままエスカレーターで某有名大学に入学させた両親。
私と姉には呪詛のように「ウチのお金は、お兄ちゃんに使う分しかないから、あなた達はちゃんと公立に通ってね」と言い聞かせ続けてきました。
私にとって救いだったのは、姉が学校の成績はそこそこでも「人間としてのデキ」はとてつもなく良かったことです。
「お兄ちゃんだけズルいって、私も思うけど、私そんなに勉強好きじゃないから、むしろラッキーじゃない?私たちは勉強しろしろ言われなくて済むよ」
と、兄への依怙贔屓を、ポジティブに捉えられるように私を励ましてくれたのです。
私と姉だけが学べたこと
姉のおかげで、両親の期待や、子供が一番嫌う「勉強しなさい、頑張りなさい」という言葉を、「お兄ちゃんが1人で引き受けてくれている」と前向きに捉えられ、私は兄を恨んだり妬んだり引け目を感じたりしないでいられました。
この時から私は、「お金を使ってもらえて思い通りに生きてるお兄ちゃん」より、「不自由でも明るく優しく生きてるお姉ちゃん」の方が好きでした。
姉も多分同じ気持ちだったと思います。
「お金がない不自由」があっても、自分の思い通りにならないことが多くても、気を許せる人が傍にいてくれれば人生はそこそこ楽しい。
私と姉だけが学べたことです。
子供の頃に味わったことは自分の子供にもする
そんな姉も今では、女の子と男の子の二児の母です。
二人ともよく笑い、人の目を見て元気な挨拶が出来て、嬉しい、楽しいという感情を笑顔で表現できる素直な子です。
一方、兄もまた女の子二人の二児の父ですが、兄の子供は「こんにちは…」「ありがとうございます…」と、常に語尾に「…」がつくような、無表情な女の子たちです。
乗ってる自転車はおしゃれで可愛いですし、習い事も色々やらせてもらっていて、まさに「お金がある自由」の元に育てられています。
でも、「可愛い自転車だね」と言っても「別に普通です…」と言うし、「ピアノ習ってるんだ、すごいね」と言っても「コンクールで賞取ったこと無いから凄くないです…」と返してきます。
その言葉を聞いて、大昔の記憶がフラッシュバックして来ました。
「数学で100点だったの?他の子はどうだったの?皆が100点取れるような簡単なテストだったんじゃ意味ないでしょう」
そんなことを言われている幼いころの兄の姿が蘇って来たのです。
兄は、「お金や手間をかけたら自分の思い通りになるのは当たり前で、普通なことで、凄い人と比較しても凄い場合以外は凄くない」というマインドを植え付けられていたのです。
新しい自転車を買ってもらってご機嫌な娘に、「まあ高い金出したんだから、普通だろ」と言い放つ兄や、ピアノで新しい曲を弾けるようになった娘に、「その曲出来るのはどれくらい凄いんだ?同じくらい通ってる子より早く弾けるようになったのか?」と聞く兄の姿が、私にはありありと思い浮かぶのです。
思い通りにならない時の怒りが異常
一般的には、兄は愛想がよくて社交的で、土日にはよく子供二人と遊んであげる、良き夫で良き父に見えると思います。
面倒見が良ければ稼ぎも良い。オマケに学歴も良いし、見た目もそこそこ良い。
理想の男性に見えるかもしれません。
でも、「自分の子供に投げかける言葉が最悪」という欠点一つで、私は全ての「良い」が帳消しどころかマイナスになってしまうと思うのです。
子供を育てていれば、時には激昂することもあるでしょう。
でも、兄の場合は娘たちが自分の思い通りに動かないと毎回激昂します。
さらに、その時に使う言葉が全部最悪なんです。
「お前、親をナメてんだろ! お前みたいな無能な人間にはウンザリしてんだよ! 言うこと聞けないんだったら死んでくれよ。何で出来ないんだよ!お前がクズだからか?」
と、ブラック企業のブラック上司ばりの言葉を、幼稚園の子に向かって、マンションの廊下にまで聞こえてくるぐらいの声量で怒鳴りつけるのです。
もちろん私も姪っ子を心配して、兄に「もう少し優しく言ってあげたら?」と言ったことがあります。
しかし逆効果でした。
「良い父」を目指す兄にとって、他者から苦言を呈されるのは大変屈辱で、「こんなに俺は頑張っているのに、思い通りに子育てが進まないのはなぜだ」という苛立ちが募り、その怒りが、「宿題を始める時間から5分も過ぎてるのに、まだおもちゃの片付けが終わってない、俺の言うことを聞かない娘」や「お金をかけて習わせてるのに、同い年の子よりピアノが上手くならない娘」にぶつけられてしまうのです。
「思い通りに行くのが当たり前」と思っている兄の家は、都心の高級マンションで広々としているのに、とっても窮屈そうです。
お金があって、「望み」に対して自由で、家が広々していても幸せとは限らない。
そうは思いませんか。
終わりに
兄は大学生時代の友人から「理屈大魔王」と呼ばれていたそうです。
「自分の理屈が通る人生」しか歩んだことのない兄にとって、「理屈じゃままならない生き物」である幼児は理解できないのでしょう。
もしくは、相手が何歳であろうと、自分の理屈を振りかざすことしか出来ないのかもしれません。
身体的な暴力はなくとも、「理屈」で殴るのは精神的暴力に入らないのでしょうか?
兄のやってることはDVじゃないのか不安になって、警察に相談してみました。
でも収入もちゃんとあって、暮らしそのものの水準も高く、四六時中怒鳴りつけてるワケではないのであれば、警察は何も出来ないと言われて終わりました。分かってはいましたが。
「お金があって不自由ない生活」が見えないDVの隠れ蓑になってる可能性はないでしょうか。
もし兄の仕事が日雇いのドカタ系で、●●荘みたいなボロアパートに住んでいたら、怒り方や怒る頻度が同じであっても、話は違ったんじゃないかなと思えてなりません。