人工知能はブッダになり得るのか
人工知能のニュースで、興味深いニュースを目にしました。
人工知能が、釈迦の説いた聖典(その数7000!)を読み込むことで、「人工知能が仏教を学ぶ」というものです。
仏教の本質が、「釈迦の教えに習う」ということだと考えれば、この聖典を読み込むのは理にかなっているようにも思えますが…。
教えをラーニングすれば仏教を理解できるのか
今回の試みは、「釈迦の説法」をコンピュータで取り込み、ブッダの思考パターンを模倣するというものでした。
確かにこれは、ブッダ以降の僧にはできない、とても「機械的」な試みです。
7000ある釈迦の説法をすべて理解し、そこからさらに思考パターンも会得するのは、人間には不可能です。
この試みが目論見どおりに進めば、「釈迦の再誕」となるのです。我々現代の人間が抱えている悩みも苦しみも、すべてこのコンピュータが解決してくれるのです。理論上では。
日々滝に打たれずとも、座禅を長時間組まずとも、今回の目論見がうまくいけば「仏教」はある種の完成に到るのです。
「生の苦しみ」を読み込むことができない
しかし、私はこの目論見はうまくいかないと思っています。
なぜなら、この人工知能は、人間が根源で抱えている「苦しみ」を理解できると思えないからです。
「どうすれば今の生活をもっとよく出来るのか」
こんな思考回路を、人工知能が理解できつと思えません。
私の考えでは、まだまだ人工知能が仏教の教えを理解出来る日は遠いと思っています。