キャッシングの歴史について
キャッシングとはつまり、「お金の貸し借り」突き詰めると借金です。
借金の歴史は深く、人類が貨幣システムを作ったのと同時にできたとも言われています。
しかしそれよりもっと近代の、業者が取り仕切るキャッシングサービス。この始まりはいつだったのか。そこに焦点を当てながら、キャッシングの歴史を紐解いていきましょう。
1960年以前
日本昼夜銀行をはじめ、銀行が小口融資に手を出し始めます。その後だんだんと融資の幅は広がり、信用金庫なども消費者への融資を始めます。
そして起こった「金融自由化」により、都市銀行も消費者金融金融に乗り出してくるのです。
1960年台のキャッシング
銀行融資などは行われていたものの、「消費者金融のキャッシング」の歴史が本格的に始まったのは1960年台のこと。
団地に住んでおり、所得も安定している層へのお金の貸付がはじまり、キャッシングが「団地金融」なんて呼ばれ方をします。今と違い、限られた富裕層が利用するものだったのです。
1970年台のキャッシング
1970年台から、今でも耳にする「サラ金」という呼び名が使われ始めます。それもそのはず。この時代のキャッシングは、サラリーマンが利用するものだったからです。
70年台はとある事件があり、借金に走ってしまう人が増えました。
この時代のキャッシングは今と比べるとかなり高金利設定で、なんと最高金利「109.5%」という設定。
この金利で借り続けていると、利息の返済だけですぐに元金の返済を超えてしまいます。
この頃は今ほど貸金業法も整備されておらず、キャッシングは無法地帯に等しかったのです。こんな金利でお金を貸しているわけですから、当然返済不能に陥る人が多数。中には返済を苦に自殺してしまう人も多かったそうです。
1980年台のキャッシング
1980年台、キャッシング利用者はサラリーマンから女性や自営業者にも波及しました。
それにより、サラ金という呼び名から消費者金融という呼び方が多くなってきました。しかしこの頃、まだ金利は70%ほどが設定されていました。
1990年台のキャッシング
1990年台日本経済はバブルに湧いていました。
そのバブルが崩壊したことにより、キャッシングを利用してお金を借りる人も多くなりました。
そしてテレビCMでも消費者金融が多く登場しました。「むじんくん」や「武富士のダンス」と聞けばピンとくる人もいるのでは。
しかしまだまだ金利は40%ほどが設定しており、キャッシング利用者が増えるのと同時に、返済に苦しむ人も多くなってきました。
2000年台のキャッシング
返済が苦しい人を助けるために、国が動き出します。
2006年にあった貸金業法改訂。これにより、グレーゾーン金利が撤廃され、総量規制という制限も生まれました。
グレーゾーン金利の撤廃は、現在も「過払い金請求」という形で尾を引いています。
現在のキャッシング
現在のキャッシングは、一時期総量規制で銀行カードローンに流れたキャッシング利用者は、銀行カードローンに流れました。
しかし現在は、銀行カードローン利用者の自己破産件数が多くなったことで、銀行カードローンに対する厳しい目線が向けられています。
銀行キャッシングが、かつての消費者金融のキャッシングと同じように「法改正」が行われることが無いと良いのですが。
キャッシングのこれから
消費者金融のキャッシングも、銀行キャッシングも利用できなくなったキャッシング利用者は、今後どこに流れていくのか。
メルカリを使って現金を使うなど、お金に困っている人が犯罪スレスレの行為に手を染めています。
国がどうにか、こういったお金に困っている貧困層の人たちを助けてあげる受け皿を作ってあげてほしいです。
キミはお金を真剣に使っているか?
お金。
得るためなら誰もが真剣に考えるのに、使う時には得る時の1/3にも満たない程度の気持ちで使ってしまっている人が多い。
何も「無駄遣いしないで貯金しろ」とか、「老後の蓄えガー」とか言いたいわけではない。
むしろ私は貯金など皆無だ。
金なんて棺桶に入れても灰になるだけだ、使い時はいつだって今だと思っている。
ただ、その財布からお金を出す時、その画面の入力欄にクレジットカードの番号を入れる時、キミは真剣だろうか。
今、お財布の中にいくら入ってるか覚えてるか?
例えばお財布の中。
パッと訊かれて、「今のお財布の中の残高は2万と…」と答えられるだろうか。
私は答えられる。
何故なら、財布の中が空になる時、それは私が次の給料日まで何一つ飲み食い出来ないことが決まる時だからだ。
家賃、光熱費、通信費、交通費と生きていく上+会社に行く上で必要な金は、給料が入ったその日に専用口座に入金する。
それ以外のお金は全て財布の中に入れてしまうのだ。
いつだって全財産はお財布の中。
そう思うと、お財布の中身に対して払う注意は並大抵のものじゃなくなる。
お金について本気出す前
何でこんなことをしているかと言えば、単純に「使ってしまうから」。
私はどこに出しても恥ずかしいオタクだから、ネットを開けばそこは誘惑パラダイスだ。
元から話題の品にチョロいので、ツイッターなんて、アル中にとっての酒屋みたいなものだった。
一時期トチ狂ったように食べてた、SNSで話題になったセブンの冷凍つけ麺。
顔見知りの店員さんに頼んで、20個必ず買うからとまとめて入荷してもらったほどだ。
一つ一つの値段は大きくない。にも関わらず、クレジットカードが上限額まで達した通知が来た日、私はさすがに考えた。
私はいつからお金に対してこんなに不誠実だったのだろうか、と。
そして答えが出た。
生まれた時からだ、と。
私は人生で一度だってお金に対して真剣になったことなかった。
人間、歳を取れば取るほど己の変化を拒むようになるという。
変わるなら今しかないと思った。
お金を「デジタル」にするのをやめた
オンラインバンクでも、クレジットカードでも、お金を「数字」として見た時、全てが狂う。
私はそう感じた。
お金のデジタル化は、人間を簡単に狂わせる。
だったら、とことんアナログにしてみようじゃないかと思いいたり、実行してみた次第だ。
最初に現れた変化は、「お酒の量が減った」だった。
私は、元から自宅では飲まない方だったが、外ではついつい調子に乗って飲んでしまう。駅員さんに起こしてもらった回数が、母親に起こしてもらった回数を越えていると思う。
それがパタリと無くなった。
だって、超怖い。
お財布無くなるの超怖い。
泥酔するの超怖い。
そう思うと、適宜お酒の合間にお水を飲んでいる自分がいる。
お金をアナログ化して変わったこと
飲み過ぎない日々が始まってから、胃腸の調子が格段に良くなった。
胃薬の減りが圧倒的に遅くなった。
泥酔しないと、朝起きた時によくあった「寄った覚えのないコンビニ袋」もパタリと登場しなくなった。
これはちょっと寂しかった。
何が入ってるか分からないビニール袋を恐る恐る覗いて、ねるねるねるねが入っていた時には、自分のことをちょっと好きになれた。そんな時間は嫌いじゃなかった。
\テーレッテレー/
セルフびっくり箱の話はさておき。
泥酔してコンビニに寄らないと、知らない間に肉まんやらおにぎりやらを食べなくなる。
すると、会社の昼時に「お腹が空いてるのか空いてないのか分からない」という状態にもならなくなった。
「空いてるかどうか分からない。よろしい、ならばカツ丼だ」というよく分からない判断を下すことも無くなった。
自分の腹具合が分かるようになると、適正量を買い求めることが出来る。
「とりあえずカップラーメンBIGとおにぎり」というTHEテキトーセットを流れるように買わなくなった。
毎日毎日、自分の適正量を確認する。
適正量に対して適正金額を支払っているか考える。
胃腸が荒れていると「とりあえず何でも良いから胃に入れておこう」と雑な判断を下すし、判断が雑だと、お金に対しても雑だ。
人間、欲しくないものには、100円だって惜しくなる。
今日の腹具合なら、このおにぎりは欲しくない。
それが分かっていると、「後でお腹空いたら大変だから」なんてデブマインドでおにぎりを買わなくて済む。
やり始めて半年経って
最初の1~2ヶ月は、給料日前には財布からお札が消えていたが、今では特に節約した覚えもないのに1万円以上残っている。
今月にはついに2万残しを達成出来そうだ。
元から金銭感覚がしっかりしている人からみたら鼻くそ程度の「残し」だと思う。
でも財布ガバ男の名をほしいままにしていた私からしたら、「お金が残ってるから何か買おう」と思わなくなっただけ、随分な成長なのだ。
今はきちんと「お金が残っているから、このお金で買える最大幸福は何か考えよう」と思うのである。
残ったお金で、真剣に吟味したDVDBOXはちゃんと全巻見る。大人買いした漫画も全巻読む。積読になんかならない。
昔の私からしたら奇跡のような成長だ。
もし私と同じような金銭感覚の持ち主がいたら、是非試してみてほしい。お金のアナログ化。
一瞬のウッカリで全財産失うと思って、その財布を持ってみてほしい。
リスクヘッジすることがリスクになってしまう人種もいると、私は自分自身を見てつくづく思う。
財布にリアルを。
その合言葉を胸に、一緒に頑張ってみてほしい。
私も、これからも続けていく。
どうして痴漢が発生するのか?痴漢を撲滅するためにはどうしていくべきなのか
最近「痴漢」に関する話題がとてもホットです。
先日、東急田園都市線沿いで起こった「痴漢」にまつわる事件で、東急田園都市線の運行がストップ。田園都市線沿いで暮らす私は、渋谷駅からの振替バスに乗って家に帰ることとなってしまいました。
痴漢疑われた男性 はねられ死亡 逃げようとしたか | NHKニュース
昔から決して無くなることのない「痴漢被害」。そもそもどうして痴漢はいなくならないのか。痴漢を犯す犯人は、なぜその犯行に及んでしまうのか。考えてみました。
なぜ痴漢が痴漢行為をするのか
まずは、そもそも痴漢行為を行っている「犯人」が、どうして痴漢をやってしまうのか。その理由を考えてみましょう。
私含め一般男性には、「電車内で女性に触れる」という行為を理解しかねますが、そこで考えを止めては問題解決には至りません。少し折り入って考えてみましょう。
通勤通学電車が混雑している
電車内環境の要因は大きいです。電車内が他人と距離を取ることができるほどに空いていれば、痴漢被害はかなり減るはずです。
知っての通り、都心の通勤通学電車はとても混雑しています。乗車率が100%を上回るのなんて当たり前。過去このブログでも、東急田園都市線が混雑している、といった内容の記事を書きました。
東急田園都市線の混雑がひどい!混雑は改善されるのか? - マネータイムズ
日頃のストレスによるうっぷんを晴らすため
日々の生活で何も不満なく、順調な毎日を送っていれば、そもそも痴漢なんて思いつかないのではと私は思っています。
つまり、痴漢の犯人は皆一様に「ストレスフル」な生活を送っているということ。このストレスによるうっぷんを晴らす目的で、痴漢を起こしてしまうのではないでしょうか。
それにしても自身のもやもやを、偶然同じ電車に乗り合わせた女性にぶつけるなんて、最低ですよね…。
今回の記事でも、この「ストレス」と「痴漢」というテーマを主に、考えていきたいと思っています。
当然ですが、痴漢行為でストレスを発散するべきではありません
改めていうまでもないことですが、ストレスを発散する手段として「痴漢」は最悪です。ストレスが溜まっているなら、もっと別の方法でストレスを発散するべきなのです。
思考が停止している状態か
私が思うに、痴漢を犯してしまう人は、ストレスなどの要因でもはや「考える力」が脳に残っていないのではないかと考えています。少しでもまともに考える力が残っているならば、痴漢なんて考えないだろう…というのは上でも述べた通り。
痴漢の犯人はまるで、うつ病患者のように、まともな思考回路が働かない状態に追い込まれているのでは…?もはや前頭葉で「やって良いこと」「しては駄目なこと」の区別がつかない状態になっている人がほとんどではないでしょうか?
では悪いのは「ストレス社会」なのか?
じゃあ本当に悪いのは、そこまでストレスで追い込まれるほどの人を生み出してしまう、「ストレス社会」なのか?と思ってしまいますよね。
これは単純な話ではありません。これに対する私の答えはイエス&ノー。どちらも正解であり間違いだと思っています。ストレスフルな日本社会に問題がある反面、ストレスを自分で上手に手放せない犯人にも大きな問題があると思っています。
生活の軋轢、欲求不満、目先の心配事、そして混雑している通勤電車。これらの要素が絡み合って、痴漢が生まれるからこそ、痴漢問題の解決は難しいのです。。
私が思うに、「痴漢」は一車線でそう何人もいません
最近良く耳にする「痴漢」という言葉ですが、私は日本全体でもそう大した数の痴漢はいないのでは…と考えています。
数少ない痴漢が、復数の、不特定多数の女性を触る。その痴漢被害を受けた女性がそれぞれ被害を訴える。そうすると、痴漢本人の数は少なくとも、痴漢件数自体が多くなってしまうのです。
ですから、今後の国や鉄道会社の取り組み如何では、「痴漢被害撲滅」もそう遠くないと考えています。
痴漢が発生しにくい仕組みづくりと平行して痴漢の根本原因が無くなる仕組みが必要か
痴漢が発生しない通勤環境を作るためにも、やはり電車の混雑状況を見直すのは急務です。混雑してない電車内ならば痴漢はぐっと減るはず。
そして「働き方」など、日本の社会情勢の見直しも待たれます。データこそ見つかりませんでしたが、日本社会の景気が上向きになれば、痴漢被害も減るはずです。
痴漢被害を減らすための対策を、今後多角的な目線から考えていくべきではないでしょうか。
痴漢にまつわる事件で死人が出ている状況、もはやただ事ではありません
この間の青葉台駅での事件、とうとう死人が発生する事態となりました。以前も痴漢の疑いがある人が線路に降り立つなど「危ない」と言われる事態が起こっていましたが、とうとう死人が出るまでとなった「痴漢」。
もう誰にとっても他人事の話ではありません。「厄介だな」で済まされる話ではないのです。個人としてできるのはせいぜい「冤罪をかけられない意識」を持つことくらいですが、今後何らかの対策を国や自治体、鉄道会社に求めるばかりです。
なにやってもダメな人の駄目な所以は「髪」にあった
今週のお題「髪型」
今日は、はてなが出す今週のテーマで記事を書いてみようと思います。
今週は「髪型」について。社会と関わって生きているほとんどの人は、この「髪」を意識してないという方が珍しいですよね。
人々の髪への関心の高さを現すものとして、「美容院の数がコンビニより多い」なんてこともあります。
そんな誰しも大好きな髪。
私は常々、この「髪に関する事柄」を無視している人を見ると、人として全体的に「ダメ」な印象を受けるのです。
髪の持つ役割
普段意識せずとも、黙って頭の上に乗っている髪の毛。髪は普段、どんな役割を担っているのでしょうか。まずは髪の毛が持つ役割を考えていきましょう。
自身の表明
髪自身は何も言わずとも、この髪型を選んだ本人がどういった人間なのかを、髪本人は静かに表明しています。
例えば真面目な髪型の代名詞「七三分け」なら、「この髪型を選んでいるんだから、この人は真面目なんですよ」というメッセージを周囲に送っています。実際にその人が真面目ではないとしても、です。
他にも例えばパンクな「モヒカン」なら、「この人はパンク精神の持ち主ですよ。周囲には迎合しません。我が道を生きます」という表明になるでしょう。
髪型を見れば、その人がどんな人か、大まかにわかるものです。だからこそ、髪を蔑ろにするのは危険なのです。
コミュニティの表明
髪型を見れば、その人の属しているコミュニティも透けて見えます。
例えばロン毛の男性、それも社会人の年齢である男性がロン毛の主なら、「髪型が自由なところで働いてるんだな」または「個人事業主かな」とわかります。一般企業のサラリーマンなら、ロン毛が許されないことが多いです。
その髪の主が普段どこで生活しているのかまで、髪の毛で見られてしまうのです。
容姿をよく見せる
やはり髪の毛の持つ一番の役目はここでしょうか。
髪の毛一つで、人の印象はまったく違うものになります。「雰囲気イケメン」という言葉がありますが、「あれは顔はそれほど格好良くないけど、髪の毛はバシッと決まっている」人のことを指すのです。
清潔感を出す
人のことを「清潔感がある」と評すことがありますが、清潔感の多くはこの髪の毛の様子に左右されます。髪が伸び放題では、とてもじゃないですが「清潔」だとは言い難いですよね。
髪の毛に気を配らない人は「ダメ人間」です
髪の毛が持つ重要な役割について考えたところで、本題に移りたいと思います。
髪の毛に関心を払わない人が、「ダメ人間」だという話について。
ちょっと極端な言い方をしましたが、これは正しいと思っています。実際髪の毛がボサボサでみすぼらしい人は、能力が低く、話もつまらない、仕事もできない人が多いです。
どうして髪の毛に気を配らない人がダメなのか、その理由を述べていきたいと思います。
周囲への気配りが出来ない
髪の毛に気を配らない人は、自分がどう見られているか、そして自分の立ち振舞がどう周りに影響をおよぼすかわかっていません。
つまりその人は、周りに気を配ることができない人なのです。そんな自分を客観視できない人に限って、言うことや態度が自分勝手だったりするものです。
視野が狭い
周りに気を配れない、自分を客観視して動けないということはつまり、「視野が狭い」という事に他なりません。
視野の広さは、仕事でも交友関係でもブログ運営でも合コンでも婚活だろうと、どんな分野の行動でも求められるもの。
髪型がだらしない人は、それだけで、「私は視野の狭い人間なんですよ」という表明をしているのです。情けないですね。
異性、同性からの評価が低くなる
対象人物を一番厳しく評価するのは、その人の回りにいる異性です。髪型がだらしない人には特に異性から厳しい目線が送られるでしょう。当然、その人への賛辞が送られることもありません。
同性とて同じです。異性と同じような目線こそ送られないでしょうが、同性からも「あいつはだらしないやつ」だという認識を持たれてしまいます。
髪の毛ひとつで、その人は周囲から孤立してしまいかねないのです。
自己肯定感も低く行動が鈍い
そんな髪の毛がだらしない人は、周囲から褒められることも少なく、自分自身への「自信」を持つことが難しいです。
そういった「自己肯定感の低い人」は行動力も低い。「俺なんてどうせ…」と思っていることが多いからです。
だったら自己肯定感を高めるための行動を起こせばいいのに、と私なんかは思ってしまいます。
お金の使いどころを間違っている
髪の毛に気を使わない人は、つまりファッション全体にも気を使っていません。
美容院ではなく、安い床屋で髪を切り、適当な服を買ってそれを着ます。
そこで浮いたお金はどこへ飛んでいるのでしょうか?後に何も残らない、無駄な買い物につぎ込まれてるんでは?
または飲み食いで大量に消費されて、結果体系が崩れてしまうなんて悪循環にはまり込んでいたりするのでしょうか?
あなたがもし「自分を変えたい」と思っているなら髪型から変えてみては?
あなたがもしいま現在、自分の状況に満足しておらず、「自分を変えたい」なんて考えてるとしたら、髪型から変えてみてはいかがでしょうか?
髪型が変われば、鏡に映る自分の姿がすっかり変わってしまうので、大きな気分転換になること間違い無しです。そうした行動の一つひとつが、あなたの思考、言葉に影響して、人生の流れを決めるのだと、私はそう思っています。
高給取りの兄の家が不幸にしか見えない
お金がない」と「不自由」をイコールで繋げる人は多いと思います。
実際、どんな場面でもお金がないと、不自由だとは感じます。
では、お金があって、自由に生きて来れた人は幸せなのでしょうか?
私はどうしてもそうは思えません。
何故なら高学歴で高給取りの兄の家庭が、ちっとも幸せそうに思えないからです。
子供の頃から思い通りに生きてきた兄
私には兄と姉がいます。 兄は「鳶が鷹を生む」を体現したような、THEデキの良い兄でした。
夫婦揃って高卒の我が両親は、すっかり舞い上がって「神童」だの「天才」だのと兄を持て囃しました。
兄が塾に行きたいと言えば行かせ、中学から某有名大学付属の中学校に通いたいと言えば通わせ、そのままエスカレーターで某有名大学に入学させた両親。
私と姉には呪詛のように「ウチのお金は、お兄ちゃんに使う分しかないから、あなた達はちゃんと公立に通ってね」と言い聞かせ続けてきました。
私にとって救いだったのは、姉が学校の成績はそこそこでも「人間としてのデキ」はとてつもなく良かったことです。
「お兄ちゃんだけズルいって、私も思うけど、私そんなに勉強好きじゃないから、むしろラッキーじゃない?私たちは勉強しろしろ言われなくて済むよ」
と、兄への依怙贔屓を、ポジティブに捉えられるように私を励ましてくれたのです。
私と姉だけが学べたこと
姉のおかげで、両親の期待や、子供が一番嫌う「勉強しなさい、頑張りなさい」という言葉を、「お兄ちゃんが1人で引き受けてくれている」と前向きに捉えられ、私は兄を恨んだり妬んだり引け目を感じたりしないでいられました。
この時から私は、「お金を使ってもらえて思い通りに生きてるお兄ちゃん」より、「不自由でも明るく優しく生きてるお姉ちゃん」の方が好きでした。
姉も多分同じ気持ちだったと思います。
「お金がない不自由」があっても、自分の思い通りにならないことが多くても、気を許せる人が傍にいてくれれば人生はそこそこ楽しい。
私と姉だけが学べたことです。
子供の頃に味わったことは自分の子供にもする
そんな姉も今では、女の子と男の子の二児の母です。
二人ともよく笑い、人の目を見て元気な挨拶が出来て、嬉しい、楽しいという感情を笑顔で表現できる素直な子です。
一方、兄もまた女の子二人の二児の父ですが、兄の子供は「こんにちは…」「ありがとうございます…」と、常に語尾に「…」がつくような、無表情な女の子たちです。
乗ってる自転車はおしゃれで可愛いですし、習い事も色々やらせてもらっていて、まさに「お金がある自由」の元に育てられています。
でも、「可愛い自転車だね」と言っても「別に普通です…」と言うし、「ピアノ習ってるんだ、すごいね」と言っても「コンクールで賞取ったこと無いから凄くないです…」と返してきます。
その言葉を聞いて、大昔の記憶がフラッシュバックして来ました。
「数学で100点だったの?他の子はどうだったの?皆が100点取れるような簡単なテストだったんじゃ意味ないでしょう」
そんなことを言われている幼いころの兄の姿が蘇って来たのです。
兄は、「お金や手間をかけたら自分の思い通りになるのは当たり前で、普通なことで、凄い人と比較しても凄い場合以外は凄くない」というマインドを植え付けられていたのです。
新しい自転車を買ってもらってご機嫌な娘に、「まあ高い金出したんだから、普通だろ」と言い放つ兄や、ピアノで新しい曲を弾けるようになった娘に、「その曲出来るのはどれくらい凄いんだ?同じくらい通ってる子より早く弾けるようになったのか?」と聞く兄の姿が、私にはありありと思い浮かぶのです。
思い通りにならない時の怒りが異常
一般的には、兄は愛想がよくて社交的で、土日にはよく子供二人と遊んであげる、良き夫で良き父に見えると思います。
面倒見が良ければ稼ぎも良い。オマケに学歴も良いし、見た目もそこそこ良い。
理想の男性に見えるかもしれません。
でも、「自分の子供に投げかける言葉が最悪」という欠点一つで、私は全ての「良い」が帳消しどころかマイナスになってしまうと思うのです。
子供を育てていれば、時には激昂することもあるでしょう。
でも、兄の場合は娘たちが自分の思い通りに動かないと毎回激昂します。
さらに、その時に使う言葉が全部最悪なんです。
「お前、親をナメてんだろ! お前みたいな無能な人間にはウンザリしてんだよ! 言うこと聞けないんだったら死んでくれよ。何で出来ないんだよ!お前がクズだからか?」
と、ブラック企業のブラック上司ばりの言葉を、幼稚園の子に向かって、マンションの廊下にまで聞こえてくるぐらいの声量で怒鳴りつけるのです。
もちろん私も姪っ子を心配して、兄に「もう少し優しく言ってあげたら?」と言ったことがあります。
しかし逆効果でした。
「良い父」を目指す兄にとって、他者から苦言を呈されるのは大変屈辱で、「こんなに俺は頑張っているのに、思い通りに子育てが進まないのはなぜだ」という苛立ちが募り、その怒りが、「宿題を始める時間から5分も過ぎてるのに、まだおもちゃの片付けが終わってない、俺の言うことを聞かない娘」や「お金をかけて習わせてるのに、同い年の子よりピアノが上手くならない娘」にぶつけられてしまうのです。
「思い通りに行くのが当たり前」と思っている兄の家は、都心の高級マンションで広々としているのに、とっても窮屈そうです。
お金があって、「望み」に対して自由で、家が広々していても幸せとは限らない。
そうは思いませんか。
終わりに
兄は大学生時代の友人から「理屈大魔王」と呼ばれていたそうです。
「自分の理屈が通る人生」しか歩んだことのない兄にとって、「理屈じゃままならない生き物」である幼児は理解できないのでしょう。
もしくは、相手が何歳であろうと、自分の理屈を振りかざすことしか出来ないのかもしれません。
身体的な暴力はなくとも、「理屈」で殴るのは精神的暴力に入らないのでしょうか?
兄のやってることはDVじゃないのか不安になって、警察に相談してみました。
でも収入もちゃんとあって、暮らしそのものの水準も高く、四六時中怒鳴りつけてるワケではないのであれば、警察は何も出来ないと言われて終わりました。分かってはいましたが。
「お金があって不自由ない生活」が見えないDVの隠れ蓑になってる可能性はないでしょうか。
もし兄の仕事が日雇いのドカタ系で、●●荘みたいなボロアパートに住んでいたら、怒り方や怒る頻度が同じであっても、話は違ったんじゃないかなと思えてなりません。
お金目当てのWEBライターがよく使うフレーズ4選
こんにちは、ジェーンドウです。
「WELQ」事件で一気に吊し上げられましたが、未だにどこの誰が書いたかも分からないキュレーションメディアは、うようよと世の中に蔓延っています。
こんな「稼ぎ最優先」な記事を量産されて、本当に困っていて調べているのに、結局何が言いたいのか分からない記事に時間を取られてしまい、舌打ちしたくなった経験はありませんか?
「こんなゴミ記事読む時間なんてないのに!もっと早くゴミ記事だなって気付けていれば…」と、悔やんだことが、私には何度もありました。
そこで今回は、お金のことしか考えていないWEBライターがよく使うフレーズを紹介し、「あ、このライターは二流・三流だな」と見極める指針にしていていただければと思います。
お金最優先!二流・三流WEBライターがよく使う耳たこフレーズ4選
※ここでいう「お金最優先WEBライター」とは、時間効率を優先し、内容の正誤、情報源の確実性などを度外視して、無責任な記事を公開するライターのことです。
ですよね
<使用例>
「~~は女子だけ限定で無料で出来ちゃうなんて嬉しいですよね♪」
「GWといえばカップルにとっては思い出いっぱい作れちゃうチャンスですよね♪」
「男はイイ車に乗ってナンボですよね?」
いいえ?
パソコンやスマートフォンなどのデバイス越しだと、どうしても無機質な印象の文章になってしまいがちです。「共感」を呼びやすいフレーズで、記事と読者の間にある隙間を埋める手法は、確かに存在します。
しかし、「ですよね」という言い方は、前後に来る文章次第では「押し付け」「同意の強要」に繋がりかねません。
見た目がフランクなので、使い勝手が良さそうに見えるかもしれませんが、実はとても取り扱いが難しいフレーズです。
「よね」の無神経さが分からないなら使うな
「ですよね」だけじゃなく、基本的に「よね」は多用厳禁です。タイトルに限らず、文中でも同様。
「ママなら、普通、子供の事を一番に考えますよね♪」
書いた人に悪気も他意も無くとも、「子育て 悩み」といったキーワードで入ってくるであろう記事に、上記のような強要フレーズが入っていると、書いた人の胸ぐらを掴んで罵倒してやりたくなります。
悩んでる人に、無神経な追い打ちをかけるようなフレーズであることを、理解できないレベルのライターが使っていいフレーズじゃありません。
名前だけ名乗るヤツ
<使用例>
「皆さん、こんにちは。◯◯です」
誰だよ。
挨拶と名乗りから入るのは、匿名性の高いWEBメディアにおいては、礼儀として正しいとも見れます。
しかし、「自分が何者なのか」を明示するために名乗るのであれば、「家電マニアの◯◯です」や、「アパレル店員の◯◯です」くらいの情報は最低でも入れるべきですよね。
分かってて、あえて無視してるパターンのライターは大抵炎上狙いです。
誇大表現!何か妙に分かりにくい文章◯選
<使用例>
「食べなきゃ人生の半分損!今が旬のウマ牡蠣食べれる店5選」
「モテ期到来!誰も教えてくれないホントの女心3つ」
「カワイイ女子9割が知ってる!もちぷにゅ肌を作るコスメTOP10」
そうですか。
タイトルに「!」と「数字」が見えた時点で、私は絶対クリックしません。
派生型はコレ?!なぜ彼らは使うのか…三点リーダーがタイトルに含まれる違和感
「!」と「数字」コンビの亜種とでもいいましょうか、「?!」と「…」のコンビも、二流以下ライターがよく使います。
<使用例>
「ウソッ?!私の肌ブツブツ…夏前にしておきたいスキンケアとは」
「勝率90%超?!今までの常識は嘘だった…勝率アップする馬券の買い方」
三点リーダーは基本的に文章中に使うものであり、タイトルや見出しに使う記号ではないのです。
新聞の見出しで「…」が使われることはまずありません。
いかがでしたか?
私がうんざりしてるフレーズNO.1が、これ。
「いかがでしたか?」
何が?
これを使ってる人は、本気でその記事を作ってない証拠です。
もし本気で書いているのなら、聞けるわけがないのです、そんな質問。
自分で書いた文章は冒頭と終わりのまとめ部分だけ。
あとは全て文章も画像もどこかから引っ張ってきただけの記事。
そんなものを作っておいて「いかがでしたか?」と聞ける神経の持ち主という時点で、二流にですらなれないライターだと確信します。
「自分は情報発信している」と勘違いしてるから恥ずかしげもなく書けるのでしょう。
お願いだから気付いてください。
あなたが作っているものは、
※画像は怪文書ジェネレーター
さんからお借りしました。
まとめ
いかがでしたか?
1つくらいは「あ~!よく見る~」というフレーズがありましたよね。
皆さんの貴重な時間を、プログラム組んで量産出来そうな記事に使うのは非常に勿体無いです。
読む価値があるかどうか早めに見極めるポイントを覚えておいていただき、魑魅魍魎なインターネットの世界で、効率よく有益な情報を集められるようにしてください。
時間も情報も、どちらもお金と同等、もしくはそれ以上に大事なものですから、お金稼ぎのことばかり考えてる人へ、無駄に使わないようにしましょう!
余談:二流以下WEBメディアでよくある機能
<この記事を読んだ人は、こんな記事も読んでいます!>
↑
二流以下メディアほどこのフレーズを多用して、しかも表示する記事のアルゴリズムはテキトーか、宣伝記事が強制的に表示されるような設定になっています。
二流以下メディアの中にも良い記事を書くライターさんはいますし、実はライターではなくその上にいるディレクターが二流以下という可能性も多いにあります。
関連記事のアルゴリズムがめちゃくちゃそうだと思ったら、そのサイト自体に見る価値がないと判断してもいいでしょう。
書く人が優秀でも、編集する人が無能だとなんの意味もありませんから。
この記事が、もしちょっとでも役に立ったと思ったらシェアしてくださいね!
<この記事を読んだ人は、こんな記事も読んでいます!>
記事TOP画像:PIXTA
文中画像:いらすとや
ギャンブルの還元率を比較!一番高いのは意外にもアレだった
こんにちは。
突然ですが、皆さんの利用している駅の周りに「パチンコ店」はありますか?
というのも、私が利用してる最寄駅にあるパチンコ店が大規模なリニューアルをしたんですよね。
その時気になったのが、パチンコをやる人はなぜ「お金がない」と思いながらもパチンコをやってしまうのか。
まあ「依存症」とか「病気」って言ってしまえばおしまいなんですが、個人的に「ギャンブルの還元率」が気になって調べてみました。
還元率(現実)を見て目を覚ましたいって人や、(いないとは思いますが)ギャンブルを始めてみたいって人に向けて書いていこうかなと思います。
ちなみに、私は競馬をそこそこ愛しています。
各ギャンブルの還元率
意外にも還元率が一番高いのは「パチンコ」
世間一般的にギャンブルや賭け事と呼ばれるものと、国が運営している「公営競技」の還元率を比較すると、パチンコの85%がもっとも高い還元率でした。
「ならパチンコが一番割の良いギャンブルなのでは…?」という考えになりますが、どうにもそう思えないんですよね…。
私の周りにいないだけかもしれませんが、パチンコを普段する人で「お金持ち」を見たことがないんですよね。(パチンコで生活するパチプロも見たことがない)
むしろ、いつも「お金がない」と言っているイメージしかないのは、パチンコにハマっている人の母数が多いからでしょうか。
最悪なのは「宝くじ」で50%にも満たない
一方、もっとも還元率が低いのは宝くじで45.7%しかありませんでした。
個人的には、正直ここまで低いと思っていなかったので軽くショックを受けました。
単純に考えると、10万円分の宝くじを買ったら、その時点で5万円以上の損をしていることになるんですよね。
もともと宝くじは買わない派なんですが、もし周りに「夢」を買う方がいれば止めてあげた方が良いかもしれません。
そのお金で美味しいものをたらふく食べた方が幸せになれそう。
なぜパチンコの還元率は85%もあるのか
気になったので個人的に調べてみました。(完全に素人目線の意見なのはご了承ください)
運営しているのが「国営」か「民営」か
公営競技や宝くじの胴元は国ですよね。
売上の10%程度は「国庫納付金」という形で国の予算となり、残りが「JRA」等の運営団体の収入となります。
ですから、75%以上の還元率にするのは経営上難しいと思います。
一方、パチンコは「マルハン」など一般企業が運営しているため民営です。
民営である以上、他店同士の競争がある点が公営競技との大きな違いで、パチンコ業界は同業他社を出し抜くことを常に意識しているはずです。
少なくとも「接客・サービス」という点においては他のギャンブルに引けをとらないでしょう。
また、ある程度は客に当たりを出さないと客足が遠のいてしまうため、リピーターを増やすためにも還元率はこれ以上下げられないということが推測できます。
手軽さ&射幸性の高さ
パチンコが好きな方にとっては失礼かもしれませんが、パチンコのすごいところは「考える必要がない」ところです。
台さえ選べばあとはお金を入れて座っているだけですから、簡単に始められるというのは大きなメリットと言えます。
実際、開店前に行列ができるほど台選びは重要なのでしょう。
また、パチンコの楽しみは「当たる」ことしかないため、その一瞬は病みつきになる射幸感を得ることができます。
パチンコに依存してしまうのは、「続けていればいつか当たる」と思い込んでいるからです。
当たりを引くまでには多額の投資が必要ですが、当たった瞬間に出るドーパミンやエンドルフィンが思考を麻痺させます。
売上の違い(参考資料)
上記の通り、パチンコの売り上げは競馬の10倍以上と群を抜いており異常です。
話は反れますが、一説によるとパチンコ店の当たりは店側で操作されているという声もあります。
流石に冗談だろと思いますが、火のない所に煙は立たぬと言いますし…もしそれが本当なら、還元率85%は本当にお客さんの手元に入ってきているのか疑問ですね。
全体で見ると還元率5位の競馬ですが…
ところ、競馬の還元率は「74.1%」と全体では5位でしたが、実は馬券の買い方によって、払戻率(≒還元率)が変わってきます。
(※他のギャンブルもそうだと思うのですが今回は割愛します、すみません)
勝馬投票法ごとの払戻率(引用:JRAホームページ)
それぞれの買い方については割愛しますね。
見てみると、オッズが低いものほど払戻率は高くなっています。
払戻率を高めるためには、的中率を上げるのも非常に重要ということがわかります。
少ない投資で高いオッズを狙いがちになってしまうのが人の性ですが、単勝や複勝でコツコツと当てていく方が還元率的には賢いと言えるのかもしれませんね。
パチンコでは味わえない競馬の楽しさ
ここまで還元率の話をしてきましたが、それだけで「パチンコ>>>その他ギャンブル」と決めつけるのは、あまりに短絡的だと私は思います。
以前こちらの記事でもご紹介しましたが、競馬場には多くの楽しみ方があります。
私が思うに、その他のギャンブルは「人」と「機械」で構成されていますが、競馬は「人」と「馬」で構成されています。
これが競馬の面白さの元なのかなと勝手に思っています。
続けるほど魅力が増していく!競馬の魅力
今思いつくだけでも、競馬の魅力はこれだけあります。
- 競走馬を身近で見ることができる
- 100円から遊べる
- お金を賭けなくても楽しめる
- 1年を通してやっているので話のネタになる
- 重賞レースのときの観客の一体感がすごい
- やればやるほど血統の奥深さを知ることができる
- 過去レース傾向からデータ分析をして考える楽しさがある
- 競走馬や騎手だけでなく厩舎や調教師など関係者が多く、さまざまな視点で見ることができる
などなど…
1つずつ解説していきたいのですが、長くなりそうなので今回はここらへんにしておきたいと思います。
それではまた。